扇子で口元を隠す所作とは?うちわの歴史についても紹介!
日本でうちわはどのように扱われていたのでしょうか。
平安中期に作られた、日本最古の百科事典ともいえる「和名抄(和名類聚抄)」に、うちわ(団扇)の記載があります。
平安時代では、うちわは主に貴婦人が顔を隠す道具として利用されていました。呼び名は「さしは」と呼ばれており、形も今よりも柄が長く、紙ではなくて鳥の羽や絹を貼った高級感のある仕様でした。また、外出時にお付きのものが横からうちわを出してきてお顔を隠していました。なぜ、そこまでしてお顔を隠すのかというと当時の女性は、お屋敷の奥深くにいるもので滅多に顔を見せることがなかったからです。そのため、近くでお話しする際も御簾越しでした。
このような平安時代の文化があったからこそ、うちわが利用され、発展していったといっても過言ではないでしょう。
しかし、このあと扇子が開発され、うちわの座は奪われていきました。当時、男性はメモ代わりに木簡という、書を記すためのうすい木の板を持ち歩いていましたが、木簡は持ち歩きに不便でした。そこで、糸で綴じてみたところ、持ち運びに便利で、これがのちに「檜扇」と呼ばれる扇子の原型となりました。男性はメモ代わりに槍扇を持ち歩いていましたが、装飾が施されるようになって女性の間でも利用がされるようになりました。加えて、貴婦人は大声で会話するのではなく、扇子で口元を隠しながら静かに会話することがマナーとされていたため、口元を隠す道具としても活用されていました。
そのため、だんだんと、うちわは貴族社会の中で使用されなくなっていきましたが、庶民に広く普及していき、扇子とは違う発展を遂げていきました。
この後、室町時代後期には、より送風力のある竹と和紙で作られ始め、更には柿渋を塗って、強度を高めたものも開発されました。そして、台所仕事や涼を取るために、庶民の間で活躍するうちわとなっていきました。
うちわの歴史についてはこちらの記事で詳しく解説しています。あわせてご覧ください。